2005年 02月 11日

2月6日(日)11時~14時 会場;三浦ピアノ(渋谷)

またしても投稿サボっておりました。

2月初めの練習は、とにかく3月の公演の曲を決めたいね、ということで、初めの1時間は楽器練習の予定。器楽のみの曲を選曲しようというわけで。ところが渡邊君は案の定風邪を引いたらしくお休み。渡邊氏は冬場、風邪を召すことが多いのであります。

そういうわけで12時に合流した稲田家と共に、とにかくYASU音の曲をやろうということになり、思い出しながら、あるいはアレンジの変更にてこずりながら流す。やはりバイオリンが居ないととても寂しい音。「1人でも欠けてはダメだねぇ」と話しつつ、バイオリンの部分に臨時でリコーダーを入れてみたりする。またこれもなかなかよい感じ。器楽の演奏に、ちょっと太鼓をたたいてみてくれないか、というわけで今度はミニジャンベを叩く。これまたとても楽しい。ともべは実はとても太鼓が大好き。。。

ともべは高校時代吹奏楽部で打楽器にいそしんだ時期がある。その学区で2番目くらいに頭のいい高校だが、入ると文化祭や体育祭などに熱中してしまったりして、大学は一浪して入るから4年生高校だ、なんていわれていたとても青春できる、自由な校風が特徴の高校だった。本当は合唱部にいくつもりだった。ところが音楽室までいってそのまま素通りしてしまった。先輩達がちょっと恐そうな面持ちで…。そのままなんとなくどうしようと歩いていたら吹奏楽部地帯に入ってしまっていたらしく、その時副部長だったトランペットの男の先輩に「見学だけでもしていかない?」と声をかけられた。

まったく頭になかった吹奏楽部に入ろうと決めたのは、その日のうちだった。学生指揮者が指揮するアンサンブルの練習を見て、帰りのミーティングを見て、ともべはナンテ大人の世界なんだろうと仰天しその世界にいっきに惚れてしまった。中でもその時3年生で、部長をしていた女性が、非常にきっぱりとしていて、スゴク素敵に見えた。彼女はパーカッションだった。
もう空いてるパートは少なくて「コントラバスか、パーカッションなら空いてるけど」と言われ、喜んでパーカッションを希望した。
その日の夕食の時に、母と姉に興奮して吹奏楽部に入りたいと思っていることを話し、また打楽器パートに入ろうと思うと話すと、姉が一番に賛成してくれたし、音楽が好きな母も反対はせず。

そんなふうに考えもしなかったことを始めた私は、あけてもくれても打楽器のことが頭にあって、いっきにのめりこんでしまった。まず2ヶ月くらいはひたすら手拍子。メトロノームとの格闘。これがとても面白い。一冊の教本を片端から練習していく。ようやく練習用の太いスティックを許可されると、朝練、放課後、家に帰っても部屋にこもって熱中。あの時期は本当に幸福だったと思う。なんにも考えずに、たたその数小節のリズムが面白くて、ただそれをしてるだけで充実してるような。まるで小学生みたいなんだけれど。

高校生活、とにかく打楽器をしていた私はお勉強はまったくゼロになってしまい、4年生高校どころではない雰囲気が出てきてしまった。高校2年夏、進路を音楽学校へと希望した。遅すぎる音大受験の準備が始まり、私の音楽の「苦」が始まってしまった。当然打楽器で受験したいと思っていたのに、8ヶ月ほどで小さい頃から通った市の合唱団の先生に声楽への転向を薦められ急に声楽へ。そして私の歌の「苦」が始まってしまった。

お陰で太鼓は、市民吹奏楽団と高校のOBバンドで続け、その後の唯一の「楽しい音楽」の時間はそこで過ごした。が、アカペラに魂を吸い取られてしまい、今度はその活動に専念したいからといって、両方とも辞めてしまった。たぶん、'96年ころだったかな。

それ以降も、無論打楽器は私の青春時代に熱中した宝物のジャンルであり、ただただ4分音符を何分叩いたって面白がれるという大人になった。タペの今度の公演で叩く機会があるかは未定だけれど、また時間ができたら、どこかで打楽器をやれたらいいなぁと思う。

さて、とにかく今はYASU音…。頑張っていきましょー。

(ともべ著)
[PR]

by bctapestry | 2005-02-11 01:11 | 練習日記


<< 2/19は「休みの日には音楽家...      1月8日(土)10時~13時 ... >>