ブロークン・コンソート・タペストリー

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カテゴリ:練習日記( 12 )


2005年 03月 05日

美味しい食事、美しい音

先週木曜から今週月曜、ともべは4泊5日のセミナーに参加してきました。

すばらしかったぁ。
まず第一に、美味しかった…。美味しいご飯を食べるって幸せですねぇ。(しみじみ…)
美しい素晴らしい音楽を聴くのと同じくらい幸せですねぇ。(??)

そして、先生方の素晴らしさといったら…。
まず、つのださんのリュートのほんとうに素晴らしいことったらありませんでした。
むかーし、小学校か中学校の国語の教科書に、仏像を彫る人の昔話があって、その音運びを聴きながらそのことを思い出しました。私が覚えているその話の一節は、「彼は仏像を彫っているのではなくて、その木の中に埋まっている仏像を取り出しているだけなのだ」というような言葉でした。つのださんのリュートを聴きながら、あぁぁぁぁ、と鳥肌が立つのを感じました。そうだ、そうなんだよなぁ、と。

私はいま自分の中で、いわば音楽第3期に来てるのですが(笑)、つまり、第1期は、ただのん気に、知ってる曲をリコダーで永遠吹いたり、歌集の端から端まで、1人であっけらかんと歌っていた小さい頃。そして音楽を学ぶという気持ちで始めた高校大学が第2期。第2期では音楽が苦痛になり、辞めてしまおうと思っていたのでしたが、あるCDを聴き、それ以降今に至る第3期が始まりました。22歳だったかな。

そのときの音楽の感動は、今までまったく受けたことのないものでした。それを私は夕焼けの感動、という言葉にしてみたりしているのですが、つまり、自然界にあるものすごく強烈な美しさ、あの感動と同系のものを、人が人へ伝えることができるかもしれない、と思った音楽体験。
そして今回、空気の中に振動をあたえるつのださんが、まるで当然そこにあるべき音色、音程や次の音へのつなげ方で、ただ再現してくれているかのように聴こえました。彼は、能動的にその曲の世界を作り上げているのではなく、ただ、誰もがするように、当然そうあるように、決まった気象条件が整えば必ず夕陽が空を赤く染めて沈むように、美しいのになぜか悲しく、悲しいのになぜか幸福な気持ちを私の中に思い出させたのです。

22歳のあの体験。あれからずっと、「美しい」っていったいなんだろう、と、よく考えます。「美しい」と思う感情って、どこからやってくるのか、と考えます。答えはうまくでてこないのですが、それをよく繰り返し思い出しては、あれこれ考えます。美しい、ということを、どちらかといえば「よいもの」と感じるのは、生物学的にそれが種の保存ためになるからなのか、それとも社会的に植えつけられた何かなのか…。
と、同時に、去年の同じセミナーで見たビデオで学んだ、振動が物質に及ぼす影響について考えます。そのビデオの実験では、金属板の上に巻かれた粉が、その金属板に一定の振動を与えることで、徐々にまったく見事な幾何学模様を作り出すのでした。液体にたらしたインクも、同様に一定の振動をあたえると文様を作りました。それはシンメトリーの、ほんとうに不思議な美しい模様でした。

私たちの身体の中で、音はいったいどのように作用しているのでしょうね。
そんなうっすらとした疑問が私の中で浮遊しながら、気持ちの良いほうへ、良いほうへと、歌っている私です。まだまだ不自由なことばかり。もっと自由になれたらいいなぁ。。。そしていつか、彼の音のように、あるがままに、当然そうあるように、うたうことが出来る人になりたいですねぇ。ほんとうにねぇ。

わ!長くなりました。明日は練習ですね!
楽しみです♪

(ともべ著)
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by bctapestry | 2005-03-05 23:49 | 練習日記
2005年 02月 11日

2月6日(日)11時~14時 会場;三浦ピアノ(渋谷)

またしても投稿サボっておりました。

2月初めの練習は、とにかく3月の公演の曲を決めたいね、ということで、初めの1時間は楽器練習の予定。器楽のみの曲を選曲しようというわけで。ところが渡邊君は案の定風邪を引いたらしくお休み。渡邊氏は冬場、風邪を召すことが多いのであります。

そういうわけで12時に合流した稲田家と共に、とにかくYASU音の曲をやろうということになり、思い出しながら、あるいはアレンジの変更にてこずりながら流す。やはりバイオリンが居ないととても寂しい音。「1人でも欠けてはダメだねぇ」と話しつつ、バイオリンの部分に臨時でリコーダーを入れてみたりする。またこれもなかなかよい感じ。器楽の演奏に、ちょっと太鼓をたたいてみてくれないか、というわけで今度はミニジャンベを叩く。これまたとても楽しい。ともべは実はとても太鼓が大好き。。。

ともべは高校時代吹奏楽部で打楽器にいそしんだ時期がある。その学区で2番目くらいに頭のいい高校だが、入ると文化祭や体育祭などに熱中してしまったりして、大学は一浪して入るから4年生高校だ、なんていわれていたとても青春できる、自由な校風が特徴の高校だった。本当は合唱部にいくつもりだった。ところが音楽室までいってそのまま素通りしてしまった。先輩達がちょっと恐そうな面持ちで…。そのままなんとなくどうしようと歩いていたら吹奏楽部地帯に入ってしまっていたらしく、その時副部長だったトランペットの男の先輩に「見学だけでもしていかない?」と声をかけられた。

まったく頭になかった吹奏楽部に入ろうと決めたのは、その日のうちだった。学生指揮者が指揮するアンサンブルの練習を見て、帰りのミーティングを見て、ともべはナンテ大人の世界なんだろうと仰天しその世界にいっきに惚れてしまった。中でもその時3年生で、部長をしていた女性が、非常にきっぱりとしていて、スゴク素敵に見えた。彼女はパーカッションだった。
もう空いてるパートは少なくて「コントラバスか、パーカッションなら空いてるけど」と言われ、喜んでパーカッションを希望した。
その日の夕食の時に、母と姉に興奮して吹奏楽部に入りたいと思っていることを話し、また打楽器パートに入ろうと思うと話すと、姉が一番に賛成してくれたし、音楽が好きな母も反対はせず。

そんなふうに考えもしなかったことを始めた私は、あけてもくれても打楽器のことが頭にあって、いっきにのめりこんでしまった。まず2ヶ月くらいはひたすら手拍子。メトロノームとの格闘。これがとても面白い。一冊の教本を片端から練習していく。ようやく練習用の太いスティックを許可されると、朝練、放課後、家に帰っても部屋にこもって熱中。あの時期は本当に幸福だったと思う。なんにも考えずに、たたその数小節のリズムが面白くて、ただそれをしてるだけで充実してるような。まるで小学生みたいなんだけれど。

高校生活、とにかく打楽器をしていた私はお勉強はまったくゼロになってしまい、4年生高校どころではない雰囲気が出てきてしまった。高校2年夏、進路を音楽学校へと希望した。遅すぎる音大受験の準備が始まり、私の音楽の「苦」が始まってしまった。当然打楽器で受験したいと思っていたのに、8ヶ月ほどで小さい頃から通った市の合唱団の先生に声楽への転向を薦められ急に声楽へ。そして私の歌の「苦」が始まってしまった。

お陰で太鼓は、市民吹奏楽団と高校のOBバンドで続け、その後の唯一の「楽しい音楽」の時間はそこで過ごした。が、アカペラに魂を吸い取られてしまい、今度はその活動に専念したいからといって、両方とも辞めてしまった。たぶん、'96年ころだったかな。

それ以降も、無論打楽器は私の青春時代に熱中した宝物のジャンルであり、ただただ4分音符を何分叩いたって面白がれるという大人になった。タペの今度の公演で叩く機会があるかは未定だけれど、また時間ができたら、どこかで打楽器をやれたらいいなぁと思う。

さて、とにかく今はYASU音…。頑張っていきましょー。

(ともべ著)
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by bctapestry | 2005-02-11 01:11 | 練習日記
2005年 01月 21日

1月8日(土)10時~13時 会場;アスピア(幡ヶ谷)

随分と日がたってしまいましたが、練習日記おサボりを解消すべく書き始めました。

10月23日の練習以降、11月23日、12月5日と、2度の練習がありましたことをまず記録。
思えばあれからつい先ほどまで、なんと忙しかったことでしょう…。(と、いい訳をして…)

1月8日、新年の練習は夏のYASU音でお世話になったアスピアの練習室をお借りして、2月のYASU音の曲を決定することが第1の目標。選曲を兼ねて3月の公演の曲も含め練習しました。
暮れから崩していたともべの体調はかんばしくなく、へろへろした歌をうたいながらも無事に曲は決定。とはいえ、最終曲は元気なのがいいねという理由で、これまであまり練習していなかった曲に決めてしまい、さぁてどうなるかしらぁと心配しつつ、本番直前に気合が急上昇するタペのみなさんなので、きっと乗り越えることでしょう…(マジ!)

その賑やかな曲は、ヘンリー8世の有名な曲。この曲とは私、King's Singers のCDの中で出逢いました。日本で編集されたEMIからの「コンサートコ・レクション」というCDで、解説によれば、この1枚を聴くとキングズのコンサートにいったように聴ける、ということ。初めにチューダー王朝の歌曲がいくつか、そしてルネサンス…最後にポピュラー、というわけで、コンサート仕立てに雑多な曲が入っています。そのアルバムの一曲目がこの「Pastime with good company」というわけで、とても耳に残っていた曲でした。

帰宅して歌詞の意味と発音を調べ何度も繰り返し喋る。しかしこれがなかなか歌いにくい歌詞で泣かされています。。。昔の単語もいくつかあり、明確に分からない発音も…。しかしCD便りになんとか切り抜けましょう…。歌詞の意味も、タペストリーやYASU音の主旨にそっていてもってこいだし、私たちの編成にきっと良く似合うのではないかと思うので乞うご期待…たぶん。

ところで、このアルバムの中で私が一番好きになった曲を、あらためてこのCDを数年ぶりに聞いて思い出しました。ウィリアム・ダガーの「Downderry down」という曲。悲しげだけれど悲しすぎない旋律がなども繰り返される、、、というのが私のツボなのかなぁ。カナダ民謡の「She's like the swallow」に通じる良さがあります。どこかに楽譜があったら是非やってみたいなぁと思う曲であります♪

(ともべ著)
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by bctapestry | 2005-01-21 18:26 | 練習日記
2004年 10月 26日

10月23日(土)16時~18時 会場;ギタルラ(目白)

新曲をたくさんかかえての2回目の練習は、タペストリーでは初めてお借りする目白での練習。

こんなステキなところで、こんな未完成な音を鳴らすのはどうなんだろう、、と気がひけながらの練習2時間。この前の時間に、バイオリン渡邊とガンバの山森は別ユニットでの練習があり、ギターの飯塚とバリトンの尚は渋谷で別グループの練習。それもあってか、わりと音楽にすんなり入る練習の開始となりました。

ともべはギタルラの練習室で歌わせていただいたのは初めて。とても歌いやすく素晴らしい会場でした。高い音をフッと拾ってのびてくれるような感触があり、きついなぁと思う箇所もわりと救われました。いやしかしながら、喉がしまっていてもちゃんと伸びやかな音になってくれる、発展途上歌手には悪い会場とも言えるのかもしれません(笑)

練習時間もあとわずかになり、最後に通してみようと演奏がはじまって半ばころ、グラリと大きな地震がありました。ともべは何を隠そう、ほんとーに地震が大嫌いでありまして、全然うたうことができなくなりましたが、最後まで弾いていたのはガンバ山森とギター英。まったくすごいですね。あまりきっちり建っている感じのしない、ちょっと不安を覚えるような雰囲気のたてものだったのもあり、非常に恐ろしかったのでありますが最後まで弾いておりました。
2度目の地震があったときに、渡邊が「これはどこか遠くで大きな地震があったかもしれませんね」といいましたが、帰宅途中に入ったお好み焼き屋でTVがうつっていて、本当にそのニュースをやっているのには驚きました。

次回の練習は約1ヵ月後。それぞれに別グループでの秋の公演を終えて会うことができそうです。来年の本番にむけて、練習を積んでいきましょう♪

(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-10-26 23:53 | 練習日記
2004年 09月 29日

自宅練習での格闘 ~器になること~ byともべ

ここのところ、ともべは個人レッスンでパーセルをみてもらうことが多く、今日は名曲、「An Evening Hymn」をみていただきました。

古楽がスキと思いつつ、本当は古楽の曲にまったく詳しくありません。初めてのパーセル体験はそんなわけで今年の春。波多野睦美さんのセミナーに参加し、初めてパーセルの曲としっかり格闘することになりました。もっともっと古い音楽にすんなりと入ることができても、バロックと聴くだけで、メリスマを見るだけで、アレルギーのように寄せ付けなかったところがあり、パーセルもその対象だったというのがありました。

しかしこのセミナーの課題は、リュート伴奏のものと、チェンバロ伴奏のものと2つ選ぶ必要がありました。申し込んだときには、リュートソングだけもって行けばいいものと思っていたので焦りましが、ともかく見てもらうなら英語のものがいいと思っていたこと、手元に花井氏から頂いていたパーセルの「Sweeter than Roses」のファクシミリ版の楽譜があり、チェンバロ伴奏で英語で思いつくものがまったくなかったので、好みも何も関係なくこの曲にチャレンジすることになりました。

結果、この曲が大好きになりました。いや、させて頂いたというべきか。そしてたくさんの受講生が歌うパーセルの曲が好きになりました。みんな完全に上手に歌っているわけではありませんでしたが、公開されているそのレッスンをずっと聴いているうちに、どのように感情移入し、メロディと言葉を愛でて学んでいくことができるのかを受け取ることができたのです。
そういう部分でも多くのものを学ぶセミナーでした…

さて、そうして私はその後、パーセルの曲を花井氏とのレッスンにもっていくようになりました。先生は英語がご専門ではありませんが、パーセルの曲が大好きで、レパートリーがたくさんあるということを知りました。普段フランス系のものやイタリアものを聞かせていただくことが多いので意外でしたが、レッスンの中で声によって示してくださる先生のパーセルは確かに素晴らしいです。いつかコンサートで歌ってくれればな~。。。

「この曲はねぇ、何度歌っても、いつも満足に歌えたと思えないけれど、いつもそれなりの気付きがあるのよねぇ」としみじみとしながら、「すべてをそぎ落として、自分に何にも無い状態でないと、歌えないと思うのね」とおっしゃる。
今日はある教会の聖堂でのレッスンだったのですが、私はその言葉に深く引き込まれました。
すーっと、高い天井からやってきた気が先生の中に入って満たされるような気がしました。先生はからっぽで、その気が入ったことで満たされ、表情が輝いてその喜びが声になり、歌になったようなきがしました。
私はそのときゾクッとして、すっかり歌い方がかわってしまったのです。

「あなたは完全でなくていい。この音楽は、あなたの存在よりももっともっと大きく、あなた自身がどうこうできるものではない。待って、そのときがやってきたら歌いはじめなさい。あなたはただこの音楽が通り抜ける器であるだけでいい。あとは身体がしっていてすべてやってくれるのです。」そうやって魔法をかけてくれたのは、去年の秋のWSでお会いしたレベッカ先生。
あのときの大きな感動と喜びが再び再現され、急に Evening Hymn に対面してる自分自身が変わってしまったような気がしました。テキストが私の身体を通り抜けて声になる。そうだった、そうだったんだよね。

花井先生のレッスンはそれと同じように私に作用し、歌えば歌うほど身体がからっぽになって次のフレーズが向こうからやってきて通り抜けていきました。各フレーズを歌い終わったあと、とても自然でリラックスしていて、身体中が幸福感に満たされます。
レッスンの初めでは、貧弱な自分を隠すように、めいいっぱいを出そうと頑張って頑張って頑張ってフレーズの終わりにたどり着こうとしていたのに気がつきました。そう、きっといつもそう。そして願いとは裏腹に、苦しくて悲しい歌になってしまうことが多い。

いろいろな歌があるでしょう。しかしこのようなタイプの曲を歌えること、そして教えて頂けることは、本当に私にとって人生の宝だなぁと感じます。心して学び、この幸福感をもって本番でも歌えますようにと、ただただ祈ってしまいます…

魂に響き渡る確かな名曲。いつかタペストリーでも演奏できるかなぁ。


(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-09-29 20:46 | 練習日記
2004年 09月 12日

9月11日(土)13:00~15:00 会場;フェルマータ(江古田)

YASU音終了後、1回目の練習。

今回はいつもギターをかついで来る飯塚がガンバとギターの両方を持参しての参加。
何を隠そう、ガンバの山森がタペストリーに入ったきっかけは、ガンバ教室に通い始めた飯塚が彼女にYASU音を紹介したことに始まっているわけで、飯塚もガンバをこよなく愛し、演奏することができるのです。
飯塚がガンバに持ちかえることによって、弦楽のアンサンブルができることや諸々もあり、すごい大荷物覚悟の練習というわけで、飯塚の家の目と鼻の先にある会場での合わせになりました。

タペストリーの選曲は、ほとんど飯塚とともべがもってきているのが現状。ふとした思い付きや、昔からやりたいなぁと思っていた旋律を思い返して楽譜を調達したり、ともべが個人レッスンで知った曲やら、諸々。今回の練習曲は7曲で、うち2つは以前に飯塚がもってきた曲。残りはともべの趣味で、イギリス民謡、ダウランド、パーセル、そして異色になるけれど、北欧の大作曲家、グリーグのドイツ語の作品。

思えばタペストリーでは今までドイツ語の曲をやったことがありません。ともべは大学時代にドイツ語の曲を歌う機会が多かったのですが、今ではすっかり風化してしまいうろ覚えの発音に引きづられるように歌いつつ、ドイツ語の音もいいねぇ、と懐かしい気持ちになったり。

グリーグの曲、というのは、ご存知の方も多いと思われる「ソルベイグの歌」。しかし不思議と、知ってる、という人が少ないみたいなのですが。

この旋律の初体験は、私は日本語でした。おそらく少し編曲がされていて。どなたが歌っていたのでしょうか、みんなのうた?のような番組で、大貫妙子か、ムーミンの歌を歌っていた白鳥恵美子のような歌い方で歌われていました。「少年は鳥にはなれず大人になって…」そんな歌詞だったような気がします。小学生のときにもらう、ポケット歌集のようなものにも、よく編集されていました。

寂しげで、すこし怪しげな音階が非常に印象的で、良い曲だなぁと子供の頃に思っておりましたが、ともべが大学生だったか、出たばかりのときに、NHKでシセル・シルシェブーが言語で歌っているのを聴いてあらためてこの曲が大好きになり、いつか歌いたいとずっと思っていました。
シセルはノルウェーのリレハンメルオリンピック開会式でも歌っていた、ノルウェーの国民的歌手だそうで、私はそのオリンピックの後に企画されていたNHKの番組で彼女が歌うのを聴いてファンになりました。CDも買いましたよ。でも、いくら探してもソルベイグを歌っているCDは見つかりませんでした。

そのときはドイツ語だったろうか。この歌は詩劇「ペール・ギュント」の中のアリアで、ソルベイグが帰らない恋人へ思いを込めて歌うものですが、私がようやく手にした楽譜は、ピアノ伴奏になっていて、ドイツ語で書かれていました。この旋律を歌えるだけでHappyなのですが、しかし元々オーケストラで演奏されるものなので、タペストリーでやるのはなかなか至難の業かもしれず、みんなに受け入れられるのかどうか、1人ビクビクしているところ。さてさて、どうなるでしょう…

2時間のあわせのあとは、近所にある「ぶな」という喫茶店へ皆で行きました。江古田の街は武蔵野音大があり、スタジオや、音楽のできるアパートなども多く有るそうで、この喫茶店にいたっては、クラシックの演奏をさせてもらえるというところだということ。
どんなところなのだろうか、どんな演奏がこれまであったのだろうか、という興味で、皆で行くことになりました。お店はとても落ち着いたあったかい雰囲気で、なるほど、演奏をしたり聴いたりするのに良さそうなところで、そのうち、無謀にも1度やらせて頂けたら素敵だねぇと話しました。

芸術の秋は、メンバーみなあちこち他のグループでの本番も多く、次回の練習は10月の半ば過ぎに決まって解散。次回までにともべは、しっかり発音の練習などして挑まなければと思いました。弦の音と歌えることは本当に幸せ。
思いつくままに、いろいろな曲にチャレンジしていきたいです★
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by bctapestry | 2004-09-12 19:54 | 練習日記
2004年 09月 03日

自宅練習での格闘 ~気流をつくり直す効果~ byともべ

さて、1つの本番が終わると、その周辺期間で自分におきていたことがだんだん見えてきたりするのですが…

その後、月曜、水曜と、女声のアンサンブルでの練習があり、あぶりだしのように見えてきたことが1つ。といっても、なんだかずーっと言われ続けていたことなのですが。

大きなフレーズをつかみつつも、非常に細かくわけて音を再生しなおすこと、です。
音程、もしくは音符を、2つ及び3つずつにわけ、それ以上は長くつなげてストレスを継続しないうたい方。この発想はおそらくグレゴリオ聖歌の記譜からも見て取ることができ、みなさんもおそらくよく耳にするリガトゥラの表記を発想した人から、受け継がれるべき感覚なのだと思います。

試しに、あるメロディを初めから、2つか3つの音符ずつに分けてしまい、そのこまかい単元をスラーにして歌い、単元が分かれるごとに歌いなおすつもりで歌ってみる、ということをやってみると、具体的な意味がわかるかもしれません。フレーズ最後の音は1つになるかもしれません。どこで分けるかはその人の感覚でそれぞれに。
最終的にどう歌うかはべつとしても、そうやってみることで変化する自分の重心の変化に集中してみる。これはフレーズ作りの1つの作業にすぎないのですが、私自身はこのことによって、喉が歌い進むほどに開いていく、あがってきてしまう胸がほどよくおちつく、腰から下の意識が維持される、しかも力んでいるのではなく体中が開いていく感覚を伴いながら、、、という効果を得る場合が多く、どんどん歌いやすくなり、音程が定まってきます。
これは、歌い分けていることを聞かせるのではなく、出てくる音はまるでスムーズに心地よく流れているように聴こえる場合のほうが多いと思われます。本人の重心のありかが絶えず湧き上がり沈静することを、小さな単元で繰り返すことで、数段歌いやすくなるメロディがあるというお話で、最近の私の周辺にある多くの曲にあてはまるような気がします。、、ということは、古典派以降のクラシック声楽には共通しないことだろうか…??

満面の笑みを浮かべながら、「1こ1こワクワクするのよ」と先生がよくおっしゃるのですが。
どう歌えばよかったかなぁ、と思い出すとき、そこにいつもなんだか楽しそうにしてる先生がいるっていいですねぇ。
そう、ワクワクする感じ。メロディーの隅々がワクワクする感じ。足の裏から自分の真ん中を通って湧き上がる気流に乗って、メロディがわくわくしながら放出される。その気流を、自分でなんどもなんども湧き上がらせる。非常に意識的に。この気流づくりをやるとき、いくら自分が疲労でまったりしていても、心のテンションが急にアップし、身体が急に生き生きしてくるのを感じます。

ボーイングの問題と似たような発想をともないながらも、この感覚が歌の場合は左右の動きではなく、自分の周辺と中心のバランスをとりながら、ぐるぐると回転している点が大きな違いかもしれません。

今回の本番で薄々その重要性に気がつき、終了したあとにしっかり確信した(おそいって!!)こんな感覚を、これからの曲に生かせていけますように…。

(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-09-03 10:17 | 練習日記
2004年 08月 23日

8月22日(日)14:00~17:00 会場;芸術園(新大久保)

YASU音前最終練習が終了。

テンションの高い練習に急に音が艶やかになった3時間。
「雨が降る前はいい音がするんです」
というビジュアル系バイオリンの渡邊くん。確かに夕方から雨が降り始めた。いやいやしかしあんさん、それだけじゃないでしょぉ…。
しかしかく言う私も、言葉が自分のものになってきたのはごく最近で…。面目ない。私達ってやる気になるのが直前。ん~、これは本番をもっと多くもったほうがいいのでは?と、ともべは一人思う。みなさんいかがお感じで?

しかしながら、基本的なことができる弦のみなさんだからこそなのでしょう。
私やバリトンはやはりもっと基本的なことを、日々積み重ねる必要を、このようにテンションの高い練習の時間にたっぷり思い知ったような気がします。それは私が弦のことに熟知していないぶん、耳がうたのほうに厳しいからということはあるかもしれませんが。

ともべはタペストリー以外では、少人数の声楽アンサンブルや、ポップスのアカペラバンドで日々歌っています。録音をきくとその難しさの違いにいつも驚きます。

タペストリーでは、練習中になんだか腑に落ちないと思って帰宅する、けれど練習の録音をきくと思っているほどは悪くない。しかしアカペラだとこうはいかず、自分ではまるでキングズシンガーズやスウィングルシンガーズのメンバーになれるんじゃないかと錯覚するほどその気になっているのに(おぃおぃそれはちょっと過剰だろぉ)、録音を聴くとまるでなっていない演奏に愕然としてしまう。
これはただたんに、そのアカペラグループの基礎能力が、ここに比べると低いというだけのことなのかもしれませんが、やはり楽器が入らない声だけのアンサンブルには、独特の難しさがあるとも感じます。

しかしながらアカペラの演奏ほど、リアルに感情の核心へと迫るジャンルは他に無いと感じるともべであり、だから難しいと知っていながら、まったくやめることができません。
そのように、前提として不安定な特性であるがゆえ、心に迫ることのできる音が可能なのかも…。

「雨が降る前はいい音がするんです」というバイオリン。「でも、降っちゃうとだめになるんですよ…」。なるほど。声も風邪を引く前にとてもいい音がすることがよくあります。でも風邪を引いてしまうともうまったく不能になってしまう。肉も果物も、腐る直前くらいが一番美味しいという。人はその危うい瞬間を知っているのではないかしら。そのはかない瞬間を知っていて、心でそれを捕まえ感動が深まるのかもしれません。

生命はゆらぎ、いつか終わっていく。そのはかなさゆえに感動がうまれるのかもしれないとしたら、すべての終わりにも少し、救いと希望があるように思いました。

(ロマンチスト・ともべ著)
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by bctapestry | 2004-08-23 08:53 | 練習日記
2004年 08月 20日

自宅練習での格闘 ~母音のつながり~ byともべ

YASU音本番まであと1週間になって、ようやく自宅で歌合せにじっくり時間を費やすことができました。

稲田家では、せっかく毎日一緒に暮らしながら、あまり家で一緒に歌の練習ということにはならないのですが。なぜかなぁ、と考えてみると、1つには、会社が休みで彼の歌う気力のあるときには、私が何かの練習に出かけていることが多いこと。また1つには、せっかくの休みで元気のあるときには、買い物へいったり映画をみにいったりと出かけてしまうことも多いからという気がします。

今回はうたが重なるものは1曲のみ。一緒に歌っているとさっそく気になることが出てくるのですが、1番には言葉のもつリズム感のズレのようです。
ちゃんとその言葉をいっているのにピッタリ合わない。何かが違うと思うのは、ポップスで言えばノリが違うということに他ならないけれど、しかし身体がのっている、本人はその気になっているのに、なぜかのりが悪いというのは、いったいどうしたらいいのだろうか。。。

のりとはいったいなんなのでしょうねぇ。
今回感じたのりの悪さというのは、細かいリズムや言葉のすべてが等価になってしまうことののりのわるさと、長い音を歌うときに止まってしまう、あるいは棒のように一直線になってしまう雰囲気です。音楽に邪魔されて音楽が生き生きしてこない感じがありました。

まず初めに、子音がたくさんあるのに早く喋らなくてはならないようなところで、ろれつが上手く廻らない、あるいは言葉が明確にならない。そのくせ走ってしまう。。。

大きな原因の1つは、言葉が変わるごとに母音が途切れ途切れに出たり引っ込んだりして、統一された息の流れの中に乗っていないこと。
古風な練習になってしまうのかもしれないけれど、そういう部分だけを取り出して、母音のみを繋げて繰り返し3回ほど歌い、1回子音も入れる、というセットを何クールも繰り返しました。子音を入れたときに、母音のみで歌っているときの母音の深さ、完全さにたどりついているかを確認しながら。
そのような息の流れの中では、すべての子音がささやかなのに的確に届いてきます。そのことによって、どんどん言葉が明確になりました。

その次には、単語ごとにたっぷりと鳴らす部分と、軽く喋る部分をつくることで、音楽に流れをつくることを試みました。
たっぷりと鳴らす部分では、非常にゆったりと体が緩み、充分にその音を身体で味わってのびのびとしていることを目指しました。体が緩むこと。そしてもっとも効果的なのは、喉が開こうと力むことなく開いていること。
細かい動きの後に、完全にゆったりとした身体の状態でそこへもってくることの気持ちよさをまず味わい、それを何度も練習します。聴いている人はおそらく一緒にその部分で気持ちよくなるでしょう。しかし音程、言葉、ブレスなどの関係で、すんなりそうなれないことが多く、なかなか難しいことでした。

しかし1時間強くらい粘り強く練習した結果、始めた頃よりも数段よくなったアンサンブルになったようです。さてさて、継続は力なり…。あと1週間、まだまだ粘らなくてはなりませんね・・・。

(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-08-20 22:48 | 練習日記
2004年 08月 15日

自宅練習での格闘 ~言葉とメロディ~byともべ

古い時代の音楽をうたうようになって特によく注意されるようになったのが、言葉を大事にした歌い方のことでした。

うたが、メロディラインの美しさだけでなく、言葉を使用したメッセージをともなうということが1つの特徴であるとすれば、その言葉に注目して大事に歌うべき、ということは、おそらく誰でも理解できる理屈であると思われます。
しかし、言葉を大事にした歌い方というのはいったいなんでしょうねぇ…。大事にしたいと思っていてもなかなかそうなってくれないものです。。。

きっといろいろな方法やアプローチの仕方がある中で、私が教わった方法はとても私の好みにあったようで、私にとってその練習は、言葉を明確にするのみならず、歌いやすく、音程もさだまり、身体もらくになるというやりかたでした。なぜだか、歌おうとすると響きがへんにこもったり、喉で作ろうとしてしまったりする方向へいってしまいがちな私なので、喋る、というごく自然にしている筋肉の動きが、よぶんなものを落としてくれるポイントになっているのかもしれません。

そういうわけでこれを教えてくださった師には本当に感謝が絶えないのでありますが、3月に波多野睦美氏のセミナーに参加した折に薦められた方法も、このようなものであったと理解しており、ますますありがたいやりかたと感じております。

それは言葉で書くのはなかなか至難の業でありますが、1つ、大まかなイメージは、演劇のように非常に高いテンションで語るあのような音です。「おぉ、ロミオさま、あなたはなぜロミオさまなのでしょう」というようなセリフがあったとして、それを情感たっぷりに愛する人へ語るように、そして自分の感情の高まりにそった息遣いで喋る。そんなイメージの音、テンションを思い浮かべてください。そのような喋り方、少しよく響く通る声で。

そのままのテンションを、自分がうたう歌詞にあてはめて喋ってみます。
喋りながら、いったいどんな気持ちをこの歌詞に託すのかを、非常に具体的にイメージし、なんどもなんども喋ります。それはまるで、役者がそのセリフを、どんなトーンで言うかを練っているような感じです。高低があり、音色が違っていて、「あぁつらい」「あぁかなしい」「あぁなんてすばらしい」というような気持ちがトーンにちゃんと反映されている音です。同時に、ちゃんとその発音が正しく発音されているかもチェックします。母音は?子音は?
そして自分のその単語への気持ちがなんとなく定まって、言葉が口に馴染んできたあとに、テンションはそのまま高めておいて、拍をとり、楽譜の中のリズム通りに喋ります。
そうすると、初めかならず違和感があります。必要以上にのばされた部分があったり、早くいかねばならなかったり。しかしそれが作曲家が思った長さなのですね。
その作業の中で、あぁ、そうか、作曲家はこの単語はこういうふうに言いたかったのね、という1つの納得が生まれます。ひょっとすると勘違いか誤解かもしれませんけどね(笑)
しかしその自分なりの納得ができてきたら、もうそれはそのまんまうたに移行できるのです。
ほんのちょっと音程を入れるだけ。

しかしこのとき要注意なのは、音程を入れたとたんにこれまでの感覚が薄れそうになることです。
気をしっかり持って、自分の感覚の中で、その単語をどのように喋りたかったかを60%くらいに注意してたもち、音程のことは20%くらいをうっすら思っておくくらいがいいかもしれません。あとの20%は、冷静に、まるで傍観しているくらいの感覚を残しておくくらいかしら。無論、音程は音程で、しっかりとっておいて、ということになるかと思いますが。

たいていの場合、リズム読みというのはひどい棒読みか、つまらないようなお経のような感じになるのですが、非常に抑揚をもたせて、すこし芝居がかってやることがこの練習のポイントで、そのように喋ると、私はとっても楽しくなってしまって、どんどんのってきてしまいます。
問題は正しい母音や子音でできているかどうかですよね。もうこれは録音してみるか、先生にお任せするほかないかもしれません。

私の場合は、古楽やポップスやジャズのようなもの歌うときに、この方法は同じように有効だなぁと思っております。どうぞお試しあれ♪

(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-08-15 01:14 | 練習日記