ブロークン・コンソート・タペストリー

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2004年 09月 29日

自宅練習での格闘 ~器になること~ byともべ

ここのところ、ともべは個人レッスンでパーセルをみてもらうことが多く、今日は名曲、「An Evening Hymn」をみていただきました。

古楽がスキと思いつつ、本当は古楽の曲にまったく詳しくありません。初めてのパーセル体験はそんなわけで今年の春。波多野睦美さんのセミナーに参加し、初めてパーセルの曲としっかり格闘することになりました。もっともっと古い音楽にすんなりと入ることができても、バロックと聴くだけで、メリスマを見るだけで、アレルギーのように寄せ付けなかったところがあり、パーセルもその対象だったというのがありました。

しかしこのセミナーの課題は、リュート伴奏のものと、チェンバロ伴奏のものと2つ選ぶ必要がありました。申し込んだときには、リュートソングだけもって行けばいいものと思っていたので焦りましが、ともかく見てもらうなら英語のものがいいと思っていたこと、手元に花井氏から頂いていたパーセルの「Sweeter than Roses」のファクシミリ版の楽譜があり、チェンバロ伴奏で英語で思いつくものがまったくなかったので、好みも何も関係なくこの曲にチャレンジすることになりました。

結果、この曲が大好きになりました。いや、させて頂いたというべきか。そしてたくさんの受講生が歌うパーセルの曲が好きになりました。みんな完全に上手に歌っているわけではありませんでしたが、公開されているそのレッスンをずっと聴いているうちに、どのように感情移入し、メロディと言葉を愛でて学んでいくことができるのかを受け取ることができたのです。
そういう部分でも多くのものを学ぶセミナーでした…

さて、そうして私はその後、パーセルの曲を花井氏とのレッスンにもっていくようになりました。先生は英語がご専門ではありませんが、パーセルの曲が大好きで、レパートリーがたくさんあるということを知りました。普段フランス系のものやイタリアものを聞かせていただくことが多いので意外でしたが、レッスンの中で声によって示してくださる先生のパーセルは確かに素晴らしいです。いつかコンサートで歌ってくれればな~。。。

「この曲はねぇ、何度歌っても、いつも満足に歌えたと思えないけれど、いつもそれなりの気付きがあるのよねぇ」としみじみとしながら、「すべてをそぎ落として、自分に何にも無い状態でないと、歌えないと思うのね」とおっしゃる。
今日はある教会の聖堂でのレッスンだったのですが、私はその言葉に深く引き込まれました。
すーっと、高い天井からやってきた気が先生の中に入って満たされるような気がしました。先生はからっぽで、その気が入ったことで満たされ、表情が輝いてその喜びが声になり、歌になったようなきがしました。
私はそのときゾクッとして、すっかり歌い方がかわってしまったのです。

「あなたは完全でなくていい。この音楽は、あなたの存在よりももっともっと大きく、あなた自身がどうこうできるものではない。待って、そのときがやってきたら歌いはじめなさい。あなたはただこの音楽が通り抜ける器であるだけでいい。あとは身体がしっていてすべてやってくれるのです。」そうやって魔法をかけてくれたのは、去年の秋のWSでお会いしたレベッカ先生。
あのときの大きな感動と喜びが再び再現され、急に Evening Hymn に対面してる自分自身が変わってしまったような気がしました。テキストが私の身体を通り抜けて声になる。そうだった、そうだったんだよね。

花井先生のレッスンはそれと同じように私に作用し、歌えば歌うほど身体がからっぽになって次のフレーズが向こうからやってきて通り抜けていきました。各フレーズを歌い終わったあと、とても自然でリラックスしていて、身体中が幸福感に満たされます。
レッスンの初めでは、貧弱な自分を隠すように、めいいっぱいを出そうと頑張って頑張って頑張ってフレーズの終わりにたどり着こうとしていたのに気がつきました。そう、きっといつもそう。そして願いとは裏腹に、苦しくて悲しい歌になってしまうことが多い。

いろいろな歌があるでしょう。しかしこのようなタイプの曲を歌えること、そして教えて頂けることは、本当に私にとって人生の宝だなぁと感じます。心して学び、この幸福感をもって本番でも歌えますようにと、ただただ祈ってしまいます…

魂に響き渡る確かな名曲。いつかタペストリーでも演奏できるかなぁ。


(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-09-29 20:46 | 練習日記
2004年 09月 12日

9月11日(土)13:00~15:00 会場;フェルマータ(江古田)

YASU音終了後、1回目の練習。

今回はいつもギターをかついで来る飯塚がガンバとギターの両方を持参しての参加。
何を隠そう、ガンバの山森がタペストリーに入ったきっかけは、ガンバ教室に通い始めた飯塚が彼女にYASU音を紹介したことに始まっているわけで、飯塚もガンバをこよなく愛し、演奏することができるのです。
飯塚がガンバに持ちかえることによって、弦楽のアンサンブルができることや諸々もあり、すごい大荷物覚悟の練習というわけで、飯塚の家の目と鼻の先にある会場での合わせになりました。

タペストリーの選曲は、ほとんど飯塚とともべがもってきているのが現状。ふとした思い付きや、昔からやりたいなぁと思っていた旋律を思い返して楽譜を調達したり、ともべが個人レッスンで知った曲やら、諸々。今回の練習曲は7曲で、うち2つは以前に飯塚がもってきた曲。残りはともべの趣味で、イギリス民謡、ダウランド、パーセル、そして異色になるけれど、北欧の大作曲家、グリーグのドイツ語の作品。

思えばタペストリーでは今までドイツ語の曲をやったことがありません。ともべは大学時代にドイツ語の曲を歌う機会が多かったのですが、今ではすっかり風化してしまいうろ覚えの発音に引きづられるように歌いつつ、ドイツ語の音もいいねぇ、と懐かしい気持ちになったり。

グリーグの曲、というのは、ご存知の方も多いと思われる「ソルベイグの歌」。しかし不思議と、知ってる、という人が少ないみたいなのですが。

この旋律の初体験は、私は日本語でした。おそらく少し編曲がされていて。どなたが歌っていたのでしょうか、みんなのうた?のような番組で、大貫妙子か、ムーミンの歌を歌っていた白鳥恵美子のような歌い方で歌われていました。「少年は鳥にはなれず大人になって…」そんな歌詞だったような気がします。小学生のときにもらう、ポケット歌集のようなものにも、よく編集されていました。

寂しげで、すこし怪しげな音階が非常に印象的で、良い曲だなぁと子供の頃に思っておりましたが、ともべが大学生だったか、出たばかりのときに、NHKでシセル・シルシェブーが言語で歌っているのを聴いてあらためてこの曲が大好きになり、いつか歌いたいとずっと思っていました。
シセルはノルウェーのリレハンメルオリンピック開会式でも歌っていた、ノルウェーの国民的歌手だそうで、私はそのオリンピックの後に企画されていたNHKの番組で彼女が歌うのを聴いてファンになりました。CDも買いましたよ。でも、いくら探してもソルベイグを歌っているCDは見つかりませんでした。

そのときはドイツ語だったろうか。この歌は詩劇「ペール・ギュント」の中のアリアで、ソルベイグが帰らない恋人へ思いを込めて歌うものですが、私がようやく手にした楽譜は、ピアノ伴奏になっていて、ドイツ語で書かれていました。この旋律を歌えるだけでHappyなのですが、しかし元々オーケストラで演奏されるものなので、タペストリーでやるのはなかなか至難の業かもしれず、みんなに受け入れられるのかどうか、1人ビクビクしているところ。さてさて、どうなるでしょう…

2時間のあわせのあとは、近所にある「ぶな」という喫茶店へ皆で行きました。江古田の街は武蔵野音大があり、スタジオや、音楽のできるアパートなども多く有るそうで、この喫茶店にいたっては、クラシックの演奏をさせてもらえるというところだということ。
どんなところなのだろうか、どんな演奏がこれまであったのだろうか、という興味で、皆で行くことになりました。お店はとても落ち着いたあったかい雰囲気で、なるほど、演奏をしたり聴いたりするのに良さそうなところで、そのうち、無謀にも1度やらせて頂けたら素敵だねぇと話しました。

芸術の秋は、メンバーみなあちこち他のグループでの本番も多く、次回の練習は10月の半ば過ぎに決まって解散。次回までにともべは、しっかり発音の練習などして挑まなければと思いました。弦の音と歌えることは本当に幸せ。
思いつくままに、いろいろな曲にチャレンジしていきたいです★
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by bctapestry | 2004-09-12 19:54 | 練習日記
2004年 09月 03日

自宅練習での格闘 ~気流をつくり直す効果~ byともべ

さて、1つの本番が終わると、その周辺期間で自分におきていたことがだんだん見えてきたりするのですが…

その後、月曜、水曜と、女声のアンサンブルでの練習があり、あぶりだしのように見えてきたことが1つ。といっても、なんだかずーっと言われ続けていたことなのですが。

大きなフレーズをつかみつつも、非常に細かくわけて音を再生しなおすこと、です。
音程、もしくは音符を、2つ及び3つずつにわけ、それ以上は長くつなげてストレスを継続しないうたい方。この発想はおそらくグレゴリオ聖歌の記譜からも見て取ることができ、みなさんもおそらくよく耳にするリガトゥラの表記を発想した人から、受け継がれるべき感覚なのだと思います。

試しに、あるメロディを初めから、2つか3つの音符ずつに分けてしまい、そのこまかい単元をスラーにして歌い、単元が分かれるごとに歌いなおすつもりで歌ってみる、ということをやってみると、具体的な意味がわかるかもしれません。フレーズ最後の音は1つになるかもしれません。どこで分けるかはその人の感覚でそれぞれに。
最終的にどう歌うかはべつとしても、そうやってみることで変化する自分の重心の変化に集中してみる。これはフレーズ作りの1つの作業にすぎないのですが、私自身はこのことによって、喉が歌い進むほどに開いていく、あがってきてしまう胸がほどよくおちつく、腰から下の意識が維持される、しかも力んでいるのではなく体中が開いていく感覚を伴いながら、、、という効果を得る場合が多く、どんどん歌いやすくなり、音程が定まってきます。
これは、歌い分けていることを聞かせるのではなく、出てくる音はまるでスムーズに心地よく流れているように聴こえる場合のほうが多いと思われます。本人の重心のありかが絶えず湧き上がり沈静することを、小さな単元で繰り返すことで、数段歌いやすくなるメロディがあるというお話で、最近の私の周辺にある多くの曲にあてはまるような気がします。、、ということは、古典派以降のクラシック声楽には共通しないことだろうか…??

満面の笑みを浮かべながら、「1こ1こワクワクするのよ」と先生がよくおっしゃるのですが。
どう歌えばよかったかなぁ、と思い出すとき、そこにいつもなんだか楽しそうにしてる先生がいるっていいですねぇ。
そう、ワクワクする感じ。メロディーの隅々がワクワクする感じ。足の裏から自分の真ん中を通って湧き上がる気流に乗って、メロディがわくわくしながら放出される。その気流を、自分でなんどもなんども湧き上がらせる。非常に意識的に。この気流づくりをやるとき、いくら自分が疲労でまったりしていても、心のテンションが急にアップし、身体が急に生き生きしてくるのを感じます。

ボーイングの問題と似たような発想をともないながらも、この感覚が歌の場合は左右の動きではなく、自分の周辺と中心のバランスをとりながら、ぐるぐると回転している点が大きな違いかもしれません。

今回の本番で薄々その重要性に気がつき、終了したあとにしっかり確信した(おそいって!!)こんな感覚を、これからの曲に生かせていけますように…。

(ともべ著)
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by bctapestry | 2004-09-03 10:17 | 練習日記